テキスト


イメージの縁(へり)──ここにあり、ここではないどこか

 

森本太郎

 

 

僕が描いているものはごくありふれた身近にあるものや風景、人物などです。

目にとまった印刷物や写真・映像などの画像を、コンピューターでの作業を重ねることで色面の集合体へと変換し、そうしたイメージをもとにさらに手作業で絵画に変換していきます。

こうした自分の制作手法は、はっきりとした最終地点を見定めそこへ向かっていく作業のように思われがちですが、もとの画像から絵画作品として形作られるまでのあいだには、いくつかの不確定な要素が入り込み、イメージは常に変容を続け、自分の想像を超えたものへと変化していきます。

例えばそれがどこかの風景である場合、コンピューター上でイメージを変換していく過程においてその風景のもつ地名や場所の意味などはそぎ落とされ、もとの場所から遠く離れていきます。そしてクリックを繰り返しながらそこにあらたなイメージを見いだせたとき、それがキャンバスに描くべきイメージとなり、もとの風景の記憶から完全に離れないまま、それまでそこになかった何かを喚起させるものとなっていくのです。

写真などから思い起こす記憶は過去からのものですが、そこから変換されたイメージを目にすることで「いま」の瞬間のなかに、さまざまな記憶とイメージが重なり合い、イメージを目にした人の中で時間と空間を超えた新しいイメージがたゆたうような領域──イメージの縁〈へり〉がつくりだされるのではないか、その縁を模索しどこかの未来にたどり着こうとするのが僕の制作行為なのではないかと思います。

 

ここにありながらも、ここではないどこかを夢みるような、そのきっかけとしての縁。星と星とのあいだに星座を見つけた瞬間のように、記憶をたよりに光にイメージが結ばれ、またそこから時間や空間をも飛び越えた記憶が呼び覚まされる循環について考えながら。

 

20124

個展「イメージの縁(へり)──ここにあり、ここではないどこか」へよせて

[2012年6月15日〜7月1日]

 

 

 

 


混雑した美術館で

 

森本太郎

 

 

人と人の隙間からみえる、天使や女神の滑らかな筆触の身体の断片。

斜めからみえるひび割れに覆われた女性。

皇帝の顔はライトで反射されて光っている。

 

描かれた絵の時代に思いをはせたり、絵のなかに入り込み、観ふけることが許されない状況にあっても、目の前にあるイメージの断片は美しく、いま、自分が現在にいることを気づかせてくれる。

 

物質としての絵画とイメージとしての絵画の間にあること。

物質とイメージのあいだに絵画があること。

 

2006年

 

第3回府中ビエンナーレ「美と価値─ポストバブル世代の7人」カタログ/府中市美術館発行より

[2006年10月21日─12月24日]